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2013-07-22

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P-56.

特に異色があったのは、労働者に賃金や労働条件の決定に参加する権利を認めたことで、労働者が経営者と対等の立場で協議する機関を地域や中央に設け、また社会政策や社会化に関する重要な法律を審議する「全国経済会議」なるものに労働者の代表が参加することなどが規定されている。このような規定を憲法の条文に盛り込んだことは画期的なことであったが、それが円滑に運用されるか否かは、まったく今後の国民経済が順調に発展し得るか否かにかかっていた。そして結果を先にいえば、ワイマル共和国は終始経済上の困難に悩まされ、この立派な憲法の条文は事実上ほとんど空文に終ったのである。

憲法と実際の差について


P-57.

彼が最も反対したのは、この条約の第二三一条でこの戦争の責任はもっぱらドイツとその同盟国にありとして、ドイツの賠償の義務を規定したことである。戦敗国が戦勝国に償金を支払うことはそれまでの慣例であったが、それを戦争責任という道徳問題に還元するのは例のないことであり、かつそれを理由として連合国側のこうむった損害をすべて賠償せねばならないとすれば、それが負担不可能の巨額になることは明らかである。いま一つ、この条約には戦争責任者を連合国に引き渡すという条項があったが、これも例のないことであって、国民の誇持をいちじるしく傷つけるものと考えられた。ドイツ代表団は決裂を覚悟して六月半ば本国に帰還した。

P-57

道徳問題への還元


P-67.

「匕首伝説」とは「ドイツは戦争に負けたのではない、背後から匕首で刺されたのだ」という考えであって、この匕首とは革命を意味している。これが正しくないことは、革命が起こる三ヵ月前の一九一八年八月に、ルーデンドルフが戦局は絶望であると言明していることからも明らかである。

P-67

匕首伝説


P-99.

ルール占領のあいだに現出したドイツの大インフレーションは今だに人々の語り草である。しかしこれはルール占領にその原因があるのではなく、それ以前の一連の歴史的経過が生み出したものであった。その第一の原因は戦争中、ドイツがその戦費を直接課税によってではなく、もっぱら公債の発行によって賄ってきたことにある。これらの公債は戦勝後の敵国からの戦利品を目当てとして出されたものであった。したがって戦争が敗北に帰し、しかも敗戦後、軍隊の復員や失業者の救済、その他多くの支出を余儀なくされた以上、不換紙幣が氾濫してドイツの貨幣価値がますます低落したことは当然である。バウアー内閣のもとで蔵相となったエルッベルガーは戦時利得者や富裕階級に多額の税を課することによって貨幣価値の回復を図ろうとしたが、それは右派政党の反対によって貫徹されなかった。しかも戦後の社会不安によって生産は停滞し、そのうえ、多額の賠償を外国に支払わねばならなかったのであるから、それでインフレーションが起こらなければ不思議というべきであった。しかしこのような悪条件のもとにあっても、政府の賢明な、断乎たる処置によって、インフレをある程度に押えることは可能であったと思われる。たとえば価格の統制、闇市場の取締りを励行するとともに、財産税、法人税、取引税等の課税を強化し、また平価を引き下げた新マルクを発行する等の方策である。しかしエルッベルガーの去ったあとの蔵相には彼ほどの勇気と力量のある政治家がいなかったし、何よりも絶えざる政情の不安定が一貫した財政政策の樹立を妨げていた。

P99-100

政情不安が通貨危機の遠因に



P-102.

インフレーションは都市の中産階級を破滅させる働きをした。多年の堅実な生活によって蓄えた貯蓄はゼロに等しいものとなり、その生活程度は労働者と変わらぬものとなった。彼らは久しく社会の中枢として、下層の大衆とは異なる品位ある生活を維持し、またそれを誇りとしていたが、それを失って社会の最底辺に落ち込んだと考えることは彼らにとって耐えがたい苦痛であった。しかも労働者は組合組織によって彼らの生活を守り、あるいは何物かを獲得することができたのに反し、そのような団結手段を欠いた中産階級の人々の生活は時に労働者以下のものとなり、かつまったく孤立無縁の境遇に落ちたのである。そこで彼らのあいだにはこのような激変をもたらした社会を呪い、それに責任があると考えた共和国とヴェルサイユ条約を深く恨む気持が強く根を張ったのであった。

P-102

没落した中流はファシズムへ



P-153.

すでに見たように、労働組合は政治的には決してラディカルではなかった。彼らは労兵協議会の支配を排し、独裁思想に対して民主主義の擁誰のために闘った。しかし彼らの民主主義とは、組合組織の維持という一点にいたって止ってしまうような性質のものであった。そこで彼らはその経済的要求においては、常に組合によって代表される組織労働者の利益の擁護というせまい視野を一歩も出ることができなかったのである。


このようにして、久方ぶりに興望を帯びて出現した社会民主党内閣は終りを告げた。それを葬ったのが社会民主党自身であったことは社会民主党にとって大きな悲劇であったが、しかもその悲劇は彼らだけのものではなかった。真の悲劇は、これが同時にワイマル共和国の議会政治の終駕であったことである。

これまで内閣はともかく議会の諸政党の連合関係によってつくられてきた。しかしミュラー内閣ののちには、もはやいかなる意味でも政府を形成し得る連合が存在しなかったのである。

第一党の社会民主党がみずから政権を放棄し、第二党の国家人民党がフーゲンベルクの指導のもとで公然と共和国打倒を唱え、第四党の共産党はもとより「ブルジョア共和国」の維持に何の関心も持たないとすれば、他の諸党がいかに連合しても国会の多数を制することはできない。このような状態のもとで、国会はみずからの力で政府を形づくる能力をまったく喪失してしまったのであった。

P154





P-202.

第一に考えられるのはその国制上の欠陥である。ヒトラーの首相就任は国民多数の意思表明の結果ではなく、大統領の任命によるものであった。ナチスは国会の第一党であったとはいえ、決して過半数を占めていたわけではなく、ことにその最後の選挙が示したように、その支持者は減少しつつあったのである。

P-202



P-207.

ドイツ国民はたしかに権威服従的ではあったが、決してすべてが無法者を好んでいたわけではないからである。しかし彼らは目前の苦境に追われて、社会と人間の存立のために最も重要なものが何であるかを認識することを忘れた。そしてそれを破壊するものが民主主義の制度を悪用してその力を伸ばそうとする時には、あらゆる手段をもってそれと闘わねばならぬということを知らなかった。それがヒトラーを成功させた最大の原因である。

P207




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